見初めのころ ただの水の飛礫(つぶて)


どん底に落とされたころ 寒さと寂しさを際立たせた


ただ闘いに明け暮れたころ 気配を消す良い道具


お前の隣にいるころ 旅が進まぬ騒々しいもの



今この瞬間 感じるものはある種の親近感










―――― 干天の慈雨 ――――








髪や衣が雨でしとどになり重さを増した。
気付いたのは、打たれ始めてから大分経っていたと思う。

数刻前から灰色鼠の空が落としたのは、叩きつけるような五月雨の滝。
雷鳴こそ轟かないものの、幾つも幾つも束ねられた水の糸と地鳴りにも似た弾ける音は、
瞬く間に世界を白く霞ませ、他の音を遮断した。
すべてのものが孤立する。


不意にすっと周りが陰った、と思ったら打ち付けられていた雨がふつりと自分に当たるのを止めた。
分かっているはずなのに不思議に思って顔を上げれば、何をしていると言っている少女の目に捕らわれた。
右手には彼女の国特有の傘の柄が握られていて、大きな空色が自身と彼女の上を覆っていた。
独りではなくなったと錯覚した。


「あんた、私によく言ってるわよね?風邪引いたら先に進めないって」
「・・・・・・ああ」
「あんたの体が丈夫で滅多な事じゃ風邪引かないは分かる・・・けど、何やってるのよ」
「・・・わりい・・・」
「・・・訳を聞かせてって言ってるの」


そう言ったきり、再び水の束が蹴り散らされる音が取り囲む。
耳のすぐ近くで溜まった水がぽつり、ぽつりと髪から落ち、濡れた衣を伝って地で汚濁した水と混ざった。
己の言葉もそんな水のようにぽつり、ぽつりと吐き出され、彼女に取り込まれる。

「同じだと・・・思ったんだ・・・」
「同じ?」
「この雨と・・・同じだと思ったんだ・・・」















それは、この雨が降り始めたばかりころ―

彼は別段焦ることもなく、木の幹に腰を据え続けていた。
ここは風下、彼女が戻ってきたら自慢の鼻がすぐに分かる。
高い木の上、彼女が井戸から出てくるであろう姿がよく見える。
ついで、自らの頭上に青々茂る緑は傘のように水を掃ける、誰からに干渉される心配が少ない。
だから、雷がこの木を直撃でもしないかぎり、彼はこの場を動く気は毛頭なかった。

そんな彼のいるところへ、どたどたと足音がなだれ込んできた。
男が三人、恐らく楓の村の者で鎌と籠を腰にしている。
大方、柴刈りにでも出ていた所を降られて慌てて帰ってきたのだろう。
ここから村までそう距離は無い。あと一駆けすれば辿り着くだろうが、それまでの小休みらしい。

内心舌打ちしつつ、彼はすっと自分の気配を潜め身を縮めた。
ぎゃあぎゃあ文句の一つでも言われるくらいなら、ここは静かに彼女を待ちたい。
と、思った矢先、やれやれと男達が会話を始めたものだから、
少なくとも「静かに」という望みは絶たれてしまった。


『いきなり降りだすとは、お天道さんも随分意地の悪いこった』
『まあそれでなくても山の空はコロコロ変わるもんだ。こればっかりは誰も敵わねえ』
『だなぁ・・・』
『にしても・・・今年はちいっと、雨の量が多くねえか?』
『そういや・・・花も散って半月経った間で十日分は降ってるな』
『こう降られちゃ作物がダメになっちまうよ』

そういって男達は晴れ間も忘れたどんより空を見上げた。
幸い彼の姿は青葉深い新緑が覆っていたし、気配も消しているから見つかることはないが、
やはり自分が見られているようであまり気分が宜しくはなかった。
男達は憎らしげに空、と、自分を見上げる。そのまま、ポツリと漏らした。


『鬱陶しいな・・・』
『早く止んじまえってんだ』
『雨なんざ降らなくていいものを』


その言葉を間近で聞いて、どくっと心臓が呻いた。




何故この時、独りだったのか。
何故この時、雨なぞ降っていたのか。
何故この時、男達が来たのか。
何故この時、空を見上げて呟いたのか。
何故この時、掘り起こしてしまったのか。



全てはただ偶然に重なった悪条件。



『さあて、本格的に振る前に帰るか』
『だな、折角の薪が湿気っちまったら、おっかあにどやされちまう』
『違いねえ』

けたけた笑いながら、男達は木の下を離れ村へ走る。

その上で、独り彼の記憶が沸々と蘇った。
別に忘れたわけではない、今だって常に念頭に置きながら生きている。
ただ、少なくとも彼女の傍に居るときはそうではないから。
そんな事を微塵も零さぬ、意気投合できる人間たちと居るから。
最近、そんな事を言われることが減ったから。




― 鬱陶しいっ!口を開くなっ! ―
― 誰か早く殺っちまえ・・・ ―
― お前なんざ居なくなりゃいい、誰も困りはしない、むしろ喜ばれるさ ―



幼い頃、広い広い屋敷の中
母の目も届かぬ場所で
顔も忘れた大人たちからの
刃のように、心をえぐる言葉






ああ、そうだった。
俺はこの雨と同じだった。
生まれた(在る)時点で、消える事を望まれた。

喜ばれることなどない命だった ―














「そう思ったら、いつの間にかここで突っ立てた・・・」

かっこわりいと憫笑(びんしょう)しながら、雨とは真逆だとも瞬時に思った。

透明な水滴は自身を通して濁った水溜りに混ざり、更に醜くなる。
どろどろに濁った自身の感情や言葉は、空気から透き通った彼女に届く。
湧き出る経緯は真逆、でも結局行き着く先は濁る。
きっと彼女もなんて馬鹿らしいと思うだろう。

と、その時。


 ―― ごんっ!!


鈍い音、と確認する間は生憎なかった。
何故なら彼女の傘の柄部分による面が綺麗に彼の顔面、詳しく言えば左側の額から頬にかけて入ったからだ。

すでに雨に打たれ力なく立っていた彼はべちょんと呆気なく濡れた地面に尻餅をつき、
痛む左顔を抑えながら彼女を呆然と眺めるしかない。
いきなり何を、と問おうとした口が、しかしきちんと形は成されなかった。

眉を寄せて口をへの字に曲げて。
拳を握って肩を震わせ怒りの空気を発しながら。
彼女は雨にも負けぬ勢いで、ぼろぼろと大粒の涙を零していたから。

「お、おい・・・」
「バカ・・・本当に・・・どこまでもバカ!!バカバカバカ犬!大バカ犬!!」
「んなっ」

いくら言われると予想し泣かれながらとはいえ、殴られた挙句ここまで連呼されるとさすがに腹が立つ。
さっきの萎(しお)れ加減も何処吹く風ですっくと立ち上がると、あっという間にいつものケンカ腰になった。

「なんでそこまで連呼されなきゃなんねえんだっ!」
「そこまでバカだからバカなのよっ!!」
「分かってんだよバカな事くらい!!」
「分かってないっ!!」

叫ぶとかごめは傘を手放し少年の、ひんやり冷たく黒に近くなってしまった緋の水干に縋りついた。
犬夜叉はとっさかごめが濡れることを危惧し引き離そうとしたが、
「だって・・・」と先ほどとは比べ物にならないくらい小さな言葉を繋がれた。

「だって・・・私には・・・必要なんだよ・・・?」
「えっ・・・」
「例え・・・世界中の誰もがあんたを嫌って、いらないって言っても・・・
 
  私には・・・犬夜叉が必要なんだよ・・・」



一瞬、何を言われているのか分からなかった。

いつもいつも、必要とするのは何も持っていない自分ばかりで。
相手からは、死以外なにも望まれていなくて。
少なくとも自分に対する世界は、そんなものだと諦めていた。


だけど・・・


「弱みでもいい、怖いこともでも何でもいい・・・あんたの口から色んなこと聞いてみたい。
 あんたを死なせるなんてさせない、何が何でも止めてみせる。
 いつも勝手にいなくなって・・・こんなに・・・寂しくて・・・」

それ以上は雨音にかき消されるほどの小ささで、よく聞き取れなかったけれど。
自分が望んで望んで、この雨のように降る一方だと思っていたのに。

この口から、色々なことを聞きたいと
この体を、死なせないと
いなくなって、寂しいと

今、目の前の少女は、自分が必要だと言った。
気がつけば、濡れると危惧した彼女を力一杯抱きしめていた。

「・・・っ・・・離してよ、バカ犬」
「嫌だ」

頭の隅ではこれ以上濡れたら風邪を引かせてしまうとか、考えていた。
けどそんなものを上回ってこみ上げるのは、切なさとか、嬉しさとか・・・愛おしさ、とか。
沸々と湧き出るものが、自分と彼女を離さない。

「・・・風邪・・・引いたらどうすんのよ・・・」
「看病してやら」
「私じゃなくてあんたが」
「俺は引かねえって分かってんだろう?」
「・・・バカだもんね」
「うるせぇ」

くすくすと閉じ込めた腕の中から小さく笑い声が零れる。
その声にほーっとこちらも我知らず安堵の声を漏らした。
と、途端に今の状況を色々思い出した。
今の状況とはつまり、雨に打たれている最中、弱みを零したことやら、かごめを抱きしめていることやら・・・
急激に顔の体温が上がっていくのが嫌でも分かる。でも、この腕を解く気もなくて。
とはいえ、このままでは二人とも(少なくともこの少女は)本当に風邪を引いてしまうし。
どうしようかと考えあぐねたが、やはりここは少女の体が一番だ。

決定と行動は、彼の中では同時である。
やおら片手を解くと、彼女の膝裏に手を回しひょいと横抱きに担ぎ上げた。

「ちょっ!!何を・・・」
「やっぱ看病すんのも面倒だ。寝込まれるくらいならてめえんちの湯にぶっこむ」
「ぶっこむって、もうちょっと言い方が・・・きゃあっ」

小さな叫び声と強靭な足が汚濁した地を蹴ったのも、これまた同時。
少年と抱えられた少女は瞬く間に白んだ世界へ飛び込んでいった。

降りしきる雨の中、敏感でよく利く鼻が彼だけに伝える。
優しい優しい、決して消えることのない彼女の匂いと、その霞で薄れゆく湿った匂い。

雨が止むまで、もう少し。







今この瞬間、また親近感を感じた。

地に落ちた空色の傘は全てではないけれど、確かに振り落ちる玉水を受け止めていて
溜まった水は汚濁することなく透き通ったまま、快晴の空を作り出していたから


















≪あとがき≫


大変、大変遅くなってしまいました朔月さまからニアピン44444ヒットのリクです;
「雨の中の激甘な犬かご」というリクだったのですが・・・

ど こ が 激 甘 か !!!!

いや、作り手の私にしてみれば、普段ヘタレなうちの犬がお嬢抱きしめるとかお姫様抱っことかしているだけ
大分甘いものではないかなと思うんですが(いっつも手繋ぐか軽く抱き締めるだけ;)
傍観者としてみるならせめてチューくらいさせなさいよって話(爆)


ごめんなさい、遅い上にこんなへたれた作品で;

全く甘くないので、頑張っておまけ作ってみました。
せめてこっちくらい甘くしようとしたら、裏寸前に(極端)

ろくでもなくてごめんなさいorz
少しでも楽しんで頂けたら幸いです^^;








おまけ ≪ 干天の攻防 ≫



― 日暮宅、脱衣所にて・・・



「ちょっと!なんであんたまで一緒に入ってくんのよ!」
「てめえが部屋に入るなっつーからついてきたんだろうが!!」
「そんなビショビショの格好で部屋に上げられるわけないでしょう!玄関で待っててよ!!」
「それがいち早く風呂に連れてきてやったやつに対する礼儀か!?」
「あんたのせいで入る羽目になったんでしょうが!!」

ぐぐぐっ・・・と、片や脱衣所から押し出そうとする白い手と、片や入ろうとする紅い塊。

犬夜叉とかごめの風呂の優先順位を巡る何ともおバカな争い。
この場合、常識的に考えれば犬夜叉が身を引く立場なのだが、わがまま大将が要らぬ所で発揮されていた。

と、不意に犬夜叉の力が抜けた。

「・・・分かった」
「やっと分かってくれ・・・」
「お前と一緒に入る」
「た・・・・。は・・・?」

何を言っているの、というまもなく再びひょいと横抱きをされた。

「ちょっと!一緒って!?嘘でしょう!?っていうか服!!」
「俺はこの郷国(くに)の風呂の扱いなんて知らねえんだ。
 風呂場ぶっ壊してもいいんなら話は別だけどな」
  
そう、よくあるシュチエーションといっては怒鳴られそうではあるが、
今現在、日暮家面々は各自外出中で今家にいるのは犬夜叉とかごめだけなのだ。
でなければ、犬夜叉がかごめと脱衣所に来るなど無理だ。
来る前に一家にとっ捕まって頭を拭かれたりなんだり、というのが悲しいくらいありありと思い浮かばれる。

「う・・・だ、だとしても一緒に入るなんて・・・!!」
「ようは向き合わなきゃいいんだろうが。
 俺だって濡れっぱなしは気持ちわりーし、一緒に入ったほうが効率いいだろう」

こういう時に限って犬夜叉は饒舌にごもっともな事を並べ立て、
その間にも風呂のドアを蹴り開けて中に入ろうとしている。
そんな犬夜叉に邪な気持ちがあるかと問われれば、実は全く無い。
さっさとかごめを風呂に入らせたいし、かといって家の中で待っててもどやされるのであれば
一緒に入ったほうがマシで効率もよいという、彼にしては頭を使った案なのだ。

「分かったら事が起こる前にさっさと入って出るぞ」
「事って何・・・!!ちょっとーーーー!!!」

ぱたん。
かごめの声とは裏腹の軽いドアの閉まる音がした。

それから数分も経たぬうちに、お互いにとんでもないコトがいろいろ起こるとは
純情な犬には想像もつかぬのだが、それはまた別のお話。






甘くないですね;ギャグだギャグ!!
犬夜叉、純情ゆえの行動(爆)いや、事が起こる前って言ってる時点で邪ですな(笑)
とんでもないコトとは、もちろんあーんなコトやそーんなコトですが
そこは皆様のご想像にお任せしますv(逃げた)




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