鏡花水月 ―― 鏡に映った花や水に映った月のように、目には見えながら手にとることができないもの。 また、言葉では表現できず、ただ心に感知するしかない物事。 彼女は ただそういう存在 在りながら 誰にも触れる事は敵わぬ者 ――――――――――― 鏡花水月 ――――――――――― 「柔らか」というよりは強く、「目も眩むほど」というよりは穏やかな、今日日の日差し。 開けたその場に注ぐ光は、辺りの殺風景も手伝って、白く景色を霞ませた。 常人であれば、眩しいの一言でもつけるだろうが。 でも彼女はそれに別段興味は示さない。 彼女は「無」 彼女は「鏡」 彼女は気配を持たない、彼女は感情を持たない。 彼女は「無」だから。 彼女は目の前にある真実を写すのみ。彼女は目の前の事実を拒まない。 彼女は「鏡」だから。 彼女は今現在、何もすることがない。 否、正確には「合図があるまで待てと言われたのでこの場で待っている」のだ。 彼女は「無」 創り主は「果ての果て」 其の身を完全な妖にするため妖光を纏う宝玉を欲し、また自ら以外の心(しん)ある者――事に蘇ったという半妖や死人の巫女に渦巻く負の情を滾(たぎ)らせ、ぶつける為。 彼女は、それを円滑に進める為の駒に過ぎない。 ― 奴(あやつ)らに史実を教えてやらねばな。 さてあの半妖、如何様な返答をするか・・・ 創り主はひどく面白げに、そして尊卑(そんび)な笑いを落としていたが彼女にとってはやはりどうでもいい。 主に都合よく作られたこの身は何の感情も見せず、数刻もすれば一町も離れていない村で半妖どもを掻き乱す事にしか動かない。 ただ、それまでの間が常人で言うなら「暇を持て余す」状況なのである。 ・・・もちろん彼女には「暇を持て余す」の「暇」さえ持ち合わせてないのだから皆無であるが。 兎に角何もすることがないので、ただ呆然と、一種の植物のように木の根元にちょこんと座っている。 何も感じず、何も見ず、何も語らず、彼女は空気のようにそこに在り続ける、在り続けるだけ。 そんな彼女の周りには、時折虫や小鳥が集まる。 程よい骨休み場と思っているのか、殺気も何も無い彼女の近くでは怯える必要もないのか。 彼らは臆せず怯まず、微塵も動かぬその頭や立ててある膝や、手にする円鏡に足を落ち着かせ、辺りを飛び回る。 それでも彼女は動かない、彼らの好き勝手に意見する必要性がない。 彼女は命(めい)と自身の危険感知で以外、動き言葉を発する必要がない。 木々はその存在自体で威厳がある、風さえ音をたてる、空気さえいつも同じではない。 でも彼女だけは瞬きもせず、死にも等しい生でそこに在り続けていた。 と、その時であった。 「すっげぇっ!!」 全くもって予想だに出来ない声が、彼女に降り注いだのだった。 突然動かされた空気 いきなりの来訪者に驚き慌てて空へ逃げ去る虫や鳥 景色よりも白い髪が音もなく動き、その白を一遍も纏わぬ、つつ闇の瞳を初めてひどくゆっくり動かした。 何の揺らぎも見せない瞳の先に居たのは、一人の少年だった。 彼女と同じ年くらいで髪を無造作に束ねて、健康的に日焼けした肌に、ドロドロで切れ切れな粗末な着物一枚を纏っている少年。 泥をつけた汚い顔を紅潮させつつ真っ黒な瞳を煌々と光らせて、彼女を食い入るようにじっと見つめていた。 「それ妖術か!?それともまじない!?」 弾んだ声で、少年が聞いてくる。 けれど彼女は「それ」を一瞥しただけで、すぐに「無」に戻った。 彼女は気配を持たない、彼女は感情を持たない。 人となりを模(かたど)っただけの「無」。 彼女は主の命と自身の危険感知で以外、動き言葉を発する必要がない。 そんな彼女にとって、少年はどこからか来た枯れ葉に相応しい、否、それ以下にも値する。 彼女は「無」 彼女にとって主以外は全て「無」。 けれど少年はそんな彼女の行為に気に留めている様子は微塵もない。 当たり前のようにずかずかと傍に寄ってきて、すげぇすげぇと相変わらずのきらきらした顔で尚も話しかけてきた。 「そこらの村のやつじゃねぇだろうし・・・あ!それとも神の御子か!?なんにしろあんたすげぇっ!!」 それでも彼女は死んでいるかのように、これっぽちも動きはしない。 「・・・あんた、もしかしてしゃべれねぇのか?それとも耳聾(じろう)ってやつか?」 あまりに動かぬ彼女にそう問いただす、それでも彼女は動かない。 「まぁいいや、あんたがすげぇことには変わりねぇもんなっ」 少年は一人勝手に納得すると、そうするのが当たり前かのように彼女の横にどかりと腰を落として、頭の後ろに手を組んだ。 「俺には虫の一匹も近寄りゃしねぇっていうのに、あんたのとこにはあんなに寄ってくるってのはどーいうこった?」 一方的に話しながらはぁっ、とため息をつく。同時に少年はちらりと少女を盗み見た。 正直、ぞおっとするくらい少女は白い。 白いおかっぱ頭に頭飾り、白い着物に鏡、肌まで白い白尽くめの童女。 その世界の織り成す様は潔白や純白をゆうに飛び越え、吸い込まれそうで空恐ろしい。心の何処かではその危うさを含んだ白さに警鐘が鳴り響いているようだ。 とはいえその白と対照的なぼやんと力ない黒い眉と瞳が浮きだっているので、どうしても目がいってしまう。 不気味なほどに何もない人形のような少女、だけど顔は確かに愛らしい類に入る。 ぼっと顔が火照ったがすぐさま振り払った。 そして、あまりにも何も反応しない彼女の目の前にぐるりと回りこんでみた。 「なぁ、あんた本当に見えてねぇの?聞こえてねぇの?」 おーいと顔に触れそうなほど近くで手を振ったり、耳元で声を出してみるが、彼女はやはり無反応。 同じ目線になってみても焦点は合わず、その深い闇色には確実に何も映っていない。 「もしかして・・・人形に話かけちまったか・・・俺」 ぽりぽりと頬を書き、いやしかしそんなはずはないと頭(かぶり)を振った。 さっき自分が一声を発したとき、彼女は確かに振り向いた。 その深い闇に一瞬でもこの姿が映ったはずだ。 そう思うと、少年はなんだか無性にもう一度この瞳に自分を映させてやりたいと思い始めた。 「このやろう・・・見てろ。絶対振り向かせちゃる」 これがどういう感情と言われるかは定かではないが、ただこのまま身を引いてしまうと何かに負けた気がしてならないのだ。 変なやる気と共に、少年の「少女振り向き作戦」が始まった。 先ほど同様手を振ったりはもちろん、髪や着物を引っ張ってみたり、頬を突いてみたり、わっと耳元で大声をあげたり・・・ ついには葉っぱを山ほどぶっ掛けてみたりベチベチと頬を叩いたりもしてみた。 ・・・端からみればただのいじめっこの行動としか取れないが、少年の健気さと必死さに免じてここは目を瞑ってあげることにする。 少年の行為により、数分後の少女の外見には所々焦げ茶やら薄緑やら蘇芳の色が注した。が、やっぱり彼女自身が動くことはなく、少年の苦労も様がないというか骨折りに終わった。 「・・・あんた・・・強ぇなぁ・・・。参った・・・降参・・・」 何が強くて何に降参したのやら。少年ははぁと息を吐き、今度は力なくずるずると少女の横に座った。 気が付けば日は少し傾いて、べっこう飴に似た美味しそうな橙の輪郭がゆらゆらと揺れていた。 さわさわと暖かい風が吹いて、遠くでは小鳥が鳴きあっている。 こんな空気にはしゃぎ疲れも手伝って、数分と経たぬうちに少年からすぴすぴと穏やかな寝息が聞こえ始めた。 隣の少女だけは相変わらず黙って座り続けていたが。 暫くその時間がゆっくり流れていたが不意に、表現するならコツンという音と共に、冷たい少女の素足に何かぶつかった。 そこからじわじわと暖かいものが伝わってくる。 その初めての感覚に、少女が空気よりもゆっくりと、動いた。 黒い瞳を自分の足に向けて、暖かいものの正体を見た。 小麦肌で少し土で汚れた手の甲が少女の素足に当たっている。変わらずゆっくりとした動きでその小麦色を辿れば、気持ちよさそうに寝入る少年に行き着いた。 少女はそれを、ぼんやりと見つめる。 その間にも熱いくらいの少年の体温が、冷たいくらいの少女の肌をじんわりと暖めた。 ざわりと、少し強めの風が吹いて幾つかの葉を落とした。 舞い散った葉の一枚が、少女を横切って少年の芳(こう)ばしく柔らかな頬に乗った。 放っておいても、風が吹けばまた飛んでいきそうな葉。その葉に一つの白い手が伸びた。 白い手はほとんど力をいれずに、そおっと葉を浮かせた。 その際に、頬に触った。外気に触れていたせいで冷たかったが、少女が触った刺激で暖かさを取り戻した。 また少し、強めの風が吹く。 「 ――――・・・・ 」 その風の中で、少女の薄い唇が微かに動いた。 けれど、木々のざわつきでか細い声はあっという間にかき消されてしまった。 少女の手に収まりかけていた葉はその風に攫われる。 それと共に、少女の手も少年の頬を離れた。 また違う木の葉がその場へ舞った時、白い少女の姿は掻き消えていた。 「・・・んっ?」 暫くして少年が目を覚ました。ぼんやりした後、はっとして慌てて辺りを見渡したが白い少女は何処にもいない。 「・・・夢、だったのか・・・?」 夢にしろ現実にしろ、とても不思議だったことに代わりはないが。 と、少年ははたりと空を見上げる。あたりはもう随分薄暗く、月がうっすら浮かんでいた。 「いっけねっ!!」 一気に母親からのきついお叱りを想像して真っ青になり、飛ぶような速さで森を駆けていった。 ―――― それから数刻後、少年の戻った村を白い物の怪が襲った ―――― ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ≪ あとがき ≫ 何でいきなり神無の小説打ってんだか自分でも謎極まりないです(をい) いや、多分相方のせいなんですが(相方がめんこい神無漫画描いてたので) 話的にはコミック15〜16巻にかけてあった神無初登場の境目の話。 新しい村で小春と弥勒がいちゃこらして珊瑚が烈火を燃やしている間らへんで(笑) こういう無機質感の話は打ってて楽しいですvあと一人くっちゃべって神無に落ち葉ぶっかける少年も(笑) 作者同様いい根性してます。 神無は多分、村襲ってる時には男の子の事を忘れて魂抜いてると思います。神無はあくまでそういう子なのです。 あ、男の子に触った時のセリフは多分「暖かい」と言ってます。言わせない、或いは聞こえない方が神無らしいので書いてないだけで。 こういうのは漫画で描きたいとも思うんですが、言葉で表したい部分もあるので結局こっちで折れてしまいます; でも絵じゃないと伝わりにくいとこもあるし・・・あーうー(涙) が、頑張って精進いたします; 閉じる |