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何時だったか、誰かに諭された。


― 此の世に「偶然」等と言う不確かなモノは御座いませぬ。
  今、此処に貴女様という方が居り、この場におわすことも、
  こうして私めの話をお聞きしている時の間さえも、
  全ては未来(さき)にある出来事の為の「必然」でござりまする。

  如何様にその身を嘆かれようと、括られた未来(いと)からは逃れられませぬ ―


 生憎その人の顔は忘れてしまったけれど、身体にある負の力全てを持ってしてその人を疾視(しっし)した記憶はある。
 人の気も知らないで、お前に何が分かる、と。

 今にして思えば、その言葉は「云い得て妙」だったのかもしれない。
 貴方様に出会えた事、否、こうしてお傍に居られるのは今の私以外では成しえなかったのだから。










     ――――――――――― 邂逅ノ君 ―――――――――――














 こういうのを人は「夜の帳」とか「烏夜(うや)」とかいうけれど、この様な場所ではそれさえ生温い――と、自身もぬばたまより深さと光沢を放つ髪を持った女はふっと皮肉げに内で笑った。

 ここには、昼間でも人っ子一人寄り付こうとしない。
 雨雲も手伝ってじっとりと湿った空気を孕んだそこは、其の昔はそこそこ富裕な貴族の屋敷だったという話を聞いた事がある。
 とは言っても今は敷一面を雑草が覆い、生き物や人の死骸が腐敗臭を撒き散らし、漸く建っているずたぼろの屋敷に棲むのは獣や人在らぬものばかりとも言われている。

 そんな場所の内庭にぽつんと、女は立っている。
 纏う着物は生温いと罵倒したこの場には痛みさえ覚えるほど白い。だが型は婚礼の儀の無垢のような華はなく、まるで禊に行く女巫女のそれに近かった。 その白とはまた別の白さを放つ肌には血のような臙脂の紅と、しっとりと濡れながらこの場の黒は到底敵わぬ上品なぬばたまが浮き立つ。 薄氷のような絽(ろ)で覆い佇む姿は、凪いだ柳にも見えた。


 端から見ると酷く不吊り合いで。が、女自身はこれほど自分に似合った場所はあるまいと、また内で笑い。


 そう思っていると、不意に湿った空気が急速に動き出した。
 腐敗臭と砂埃、それに喉を焼き、同時に体を締め付けるような空気も混じり、気を抜かせば意識は確実に飛ぶだろう。
 程なくして頭上の雨雲がぐるぐると渦を巻き始める。かと思えばその中心から激しい雷霆(らいてい)が一陣、眩むような閃光と巨大な硝子を割ったような音と共に内庭へ落とされた。

 その雷の落ちた場所・・・女の前には、山も優に超える鬼が構えていた。

 淀みきった巨漢に漆塗りの鎧を纏い、一本が女の倍はありそうな四指には血と脂臭ののった太刀、釣り上がり血走った目と収まりきらぬ牙をぎらせつかせて、女を高慢な態度で見ていた。
 というのに、当の女はその身を焼く空気にさえ眉の一つも動かしはしない。無関心に無機質な感情で、ただ鬼を見上げるばかり。

 鬼は浅ましく貪欲であったがその美徳が分からぬほど能無しでもなかった。女は力なく見え、されど同時にぞくりと芯を震わすほどの艶と刃を見せて・・・一層、鬼の興が高まった。
 女の方はというと、目は何も見ておらず思考は昔を思い出していた。
 人は死に際に昔を走馬灯の様に振り返るというが、女の昔は酷く遅く流れていた―――







 女は貴族だった。といってももはや没落し、土地や雇い人達をようやっと養っていた。
 そんな状況でも子宝はやはり嬉しいもので、その家で生を受けた女もまた例外なく喜ばれた。その量はあくまで半分だけだったが。
 この家は、特に直系の女は代々呪われている―それが屋敷を初め町の人々にも伝わっている話だ。
 生まれた女は幸せになることはない。生を受けたその瞬間に嫁入り先も、命の時間さえもきっちり決められてしまう。


  入りの先は雷神様の懐よ
    生けし時は十と六の花咲く神無月


 この家に伝わる、物騒ながらも遠まわしに子に真実を伝える唄を優しい母が涙しながら子守唄にしていた記憶は今だ離れない。
 生まれた女は十六の神無月を迎えるころ、鬼に食われてしまう。鬼に食わせねば、代わりに御家も町も食らわれる。 昔は鬼に娘を辱められるくらいならと、生まれた女子(おんなご)はその場で斬殺という異様で哀しい習慣まであった。
 父とて、それをしたかったに違いない。抑えたのは他ならぬ母の懇願と、女が夫婦の初子だったからだろう。
 ならば意地でも娘は守ろうぞ。それが数年前に先立ってしまった母と、遺された父の約束だった。
 父は亡き母に代わり惜しみなく娘を愛でる一方で、人が変わったように貪欲に金を集めた。そして娘が十六の長月を迎えるころ、集めた金を叩いて護衛を雇った。

 長月の中ほどになると一度鬼がくる。その時その時でどのようになるかは分からない。水無月でもないのにその場で女を攫っていくこともあるし、酒や食い物をありったけ用意させてから女と共に持ち帰る事もある。全ては鬼次第。
 この時は、鬼は用意されていた百余りの護衛を酒の肴のように食らい尽くし、呆然をする父に娘を用意させる場所を言って去っていった。
 こうやって、この屋敷の者は受け入れるしかないのだ。鬼の圧倒さ、己たちの力無さ、屈辱や情けなさ・・・

 女は、母が涙を流しながら唄を歌ってくれていたころから己の人生を捨て去っていた。
 表向きは愛情を一心に受け健やかに育っておきながら、内は酷く捻くれて何事にも興を注がなかったのである。 死ぬと分かっていて、懸命に生きることのなんと馬鹿らしいことか―それが女の考え方。
 護衛たちであの鬼が倒せているなら、先代が当の昔に成していたはず。父を見て、また阿呆なことを繰り返していると鬼はさぞ笑っただろう。
 女もその点では笑った。一応止めた方がいいと言ったのを頑なに拒み、結果がこの様である。無駄死に、もしくは悪あがきという言葉は父の為のように思えた。





 そうして今、鬼の嫁となる為にここに立っている――――





 鬼はゆっくりと女に手を伸ばした。
 今までの女は泣きながら、喚くか震えるかしなかった。それは優越でもあり煩わしくもあった。
 だがこの女、はたと見れば人間とは思えない。噂に聞いた氷女(こおりめ)かとも思ったが臭いや気配は人間以外の何者でもなく。だからこそこの白眼の、霧氷のような顔の女を如何様にして引きつらせてやろうかと考える。
 このまま手で握りとって少しずつ力をこめて悲鳴を上げさせようか。それとも器用に着物を剥いでその白肌を辱めてやろうか。肢体をもげない程度に切り裂いて絶叫を音楽に甘味な赤をすすってやろうか・・・それは馴れぬじゃじゃ馬を飼い慣らしたいと思う征服感と酷似していた。

 鬼の黄ばんだ切っ先が女の鼻先の一寸を切った。そこで一旦鬼の手が止まる。
 ここまで近づいても尚、女が畏怖する様子はない。それどころか女は鬼の切っ先を見てもいなかった。 鬼さえも寒慄(かんざつ)しそうな黒は、微塵も動かず鬼を見据え続けていたのだ。

 しっとりと露に濡れたように美しく、それでいて底の見据えれらない瞳。

 それを認めた途端、鬼に言い知れぬ感情が走った。ここまでしても動かぬ事への苛立ちか、それともその吸い込まれそうな黒に・・・それは誰にも分からぬが。
 びきりと、鬼に青筋が浮かんだ。この女、見ておれん。表せぬ感情を振り払うかのように腕を振り上げた。
 女も次の瞬間には消える命から、最後の息をした。






    その、刹那   ――――  女の瞳が初めて大きく見開かれた。






 垂れ込めていた雨雲が、一陣の白刃に切られた。
 白・・・否、白銀の毛並みを揺らし、鬼にも勝る巨躯を驚くのほどの速さで翻し。
 大地にも轟く咆哮と、禁色の真紅の目を纏い。



 世にも美しい狛(こま)の妖が一頭、鬼の腹を目掛けて突っ込んできたのだった。



 突然目の前で繰り広げられる、二つの命の死闘。
 鬼の爪と太刀が獣の体を切りつければ、狛は牙で喉笛を噛み鉤爪で腹を割いた。
 妖たちの血と、断末魔が絶え間なく飛び交う。
 しかし女は、さながら絢爛(けんらん)な舞を見ているようだと、逃げも慄きもせずただただ見入っていた。

 それは瞬きよりも短い一瞬だったか、永久(とわ)と思うほどの長さだったかは分からない。
 闘いは、弓張りの月光が照らす中で鬼がゆっくりと女の目の前の、己と獣が作った血溜まりの中へ重々しい音と共に崩れ落ちて、烏夜の世界に溶けて消えたと同時に終わった。


 鬼が消え去ると、生暖かい血生臭さを含んだ風の凪ぐ音しかしなかった。
 再び帰ってきた静けさの中で、一匹の妖と一人の女が残る。
 女はまだ瞳を見開いたまま妖を見上げ続け、妖も今気付いたとばかりに女に視線を投げた。

 妖は、こんな穢れた空間の中にも関わらず、驍猛(ぎょうもう)で端麗であった。
 弓張りが照らす銀は闘いで血塗れていたが、妖が元より放つ光沢は失っていない。雪を糸にしたらこうなるのではないかと思った。
 頬には紫の文(あや)。低い唸り声を小さく発し、赤黒く染まった口に収まりきらない鋭い牙や鬼の太刀より厚みのある爪は、不思議と微塵も恐ろしいとは感じなかった。
 釣りあがった真紅の海の中の黄金(こがね)の瞳は、まだ死闘の名残かぎらぎらと煌いている。けれどどんな名月よりも綺麗だ。

 女も美しい妖も互いを見続ける。女には妖の考えは読めない。
 私を食らおうとしているのか、こんなところに人間の女がいるのが不思議なのか・・・だが、そんなことはどうでもよかった。この美しい獣と同じ時間にいることが酷く嬉しかった。これがずっと続くなら、食らってくれないかとさえ願った。




 また、一瞬か永久か分からぬ長さ。

 不思議で、何処か心地いい時間の共有。




 洗礼された風が一陣駆け抜けた。
 それを合図に動いたのは妖。ぐるる・・・と、少し優しい唸りを一つして、ふいと瞳を逸らす。先程の闘いでの動きが嘘のようにゆっくりと虚空を仰ぎ見た。

 ああ、行ってしまうのだと女は察する。だけどこの人は決して引き止めることは出来ない。風のように縛れない人なのだと何故か思う。

 妖が地面を蹴り上げた。陣風を取り巻きながら瞬く間に深い空へと駆けていく。
 弓張りに溶けるように走り去った妖の背を、女は今まで見せた事のない穏やかな顔で見送った。
 今この瞬間、女は初めて生まれた事を嬉しく思い、心の底から穏やかに笑えていた。


 確信があった。きっと、これが最後にはならない。
 如何様な形であろうと、再び出会う事が出来る、と。
 何故かは、やはり分からないけれど。





 後瀬の時は、きちんと貴方の名をお聞きしましょう。
 美しい妖。名も知らぬ人。





   邂逅の 君













――――――――――――――――――――――――――――――――――
≪ あとがき ≫

・邂逅【わくらば・かいこう】・・・まれに。偶然に。思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。
・驍猛【ぎょうもう】・・・強くたけだけしいこと。また、そのさま。勇猛。
(byヤフー辞書)

ということで、一見すると誰の話なんだか分からない(笑)犬パパとママの出会いです。
大雑把な話は前から出来てたので、原稿と平行して息抜きにちまちま打ってました。(本当は絵か漫画にしたかったんですけど;)ラストが早い展開になっちゃったのが痛いです(汗)

しかし犬のひねくれは半分遺伝かと言いたい位、最初の性根は曲がってたママ(殺)ママファンの方ごめんなさいごめんなさい(土下座)

奥義皆伝で留美子先生が「没落系貴族でしょぼくれた感じ」と記されていた割りに無女ママの格好がわりと上等に見えたので(笑) 最初は没落系で後々パパの力で少し豊かになったのかもと思ってます。で、没落の理由が鬼に貢いでたからだと(こじつけ)
でも鬼へママ貢ぎのおかげで、どうしても入れたかった月をバックで犬姿パパと初対面が叶ったのは嬉しい誤算でした(笑)

犬かご万歳!!でもパパママも万歳!!(爆)お粗末様でしたー






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