それは 終わりと始まりを告げるトキ
迫る夕闇 闇を好くもの達が目覚める 魔の時

誰も彼も照らされているのに その光に掻き消されそうな昼
孤独が増して 息さえ死んでいるように思わせる夜

その二つが合間見える 一瞬のトキ 私の時間

また 誰にも気がつかれず
それを 誰に教えるわけでもなく

ひっそり ひっそり
色付き 香り 終わると思っていた

そんなトキだった その時までは












―――――――――― 優しい一瞬 ―――――――――












ミンミンしゃわしゃわと 昼の間中けたたましく鳴き続けていた蝉どもが漸く鳴き止み始める。
とはいってもそれと入れ違いに、そこかしこでちりちりリーリーと鈴虫の劈く声がするから、
やはり五月蝿いことに変わりは無い。

両者がそこまで鳴き散らすのは、水縹(みはなだ)の夏空が連れて来たぬばたまを見て、
嗄(か)らした声の安らぎを察するのか、はたまた吸い込まれそうな底なし色を恐れているのか・・・

無論私の知ったことではないが。


空の一方ではぎらついていた太陽が地平で揺らめき、
もう一方では消え入りそうな白銀(しろがね)の星が濡羽の中で瞬く。
陰と陽が同時に居合わす時間、心ざわめく逢う魔が時。

皆はこの瞬間が一番恐ろしいと怯える。
あの猩々緋とぬばたまが織り成す様は泣きたくなるほど美しく、同時に咽(むせ)そうなほどにおぞましい。
体の底から何かゾクゾクと這い上がってくる感じは気味が悪くてならない、と。

だが私にとっては、その時間だけが私のトキ。
私をイチバンにできる、ただ唯一の時間はここから始まる。

何故か、と言われても分からない。
生まれ落ちたその瞬間からそうする事を知り、それを忠実に守ってきたまで。

だた強いて、恐らく普通と違うというならここにはそれを分かつ者が居ない。
風の気ままに流されてきたのが私だけで、私一人では生憎と仲間を作る力がない。
でもそれを寂しいとも恐ろしいとも感じないし、あってもなくても差たる問題はなく、今と変らないと思う。


さあ、今日も私のイチバンをひっそりと彩らせよう。
皆が見れぬ幻想を、皆が焦がれるような美しいものを、
或いは草の上で、或いはうつらうつらしている木を背に眺めて、ゆるりとしたトキを過ごそう。







誰にも気がつかれず、でも誰にも教えず、ひっそりと―







ひょいと一飛びすれば、今は幾分涼しくなった風がいとも軽々私を乗せてくれる。
今日の行き着いた先は、藤の梢。もう彩を終えて、それでも優しい緑青の葉を蓄えている。
そんな彼の、出来るだけ葉の少ない梢にそっと腰掛け、いつもより高い目線で何かを見る。

別段見るものは何でもいい。
何かを見て、何を思うわけでもなく、ただそこに私だけが見ることの出来るトキを感じるだけ。
日が明けるまで、そのトキを過ごすだけ。

今日もそうなる、はずだった。
けれど、それは突然訪れた。








さく、さく・・・さく、さく・・・――








途方も無かった静寂を、遠くの草の悲鳴が切り裂いた。
小さな声だけど、さく、さくと、確かに木霊す草木の苦痛の声。
獣が通るなら、彼らはこんな声は出さない。
彼らがこんな声を出すときは決まってる、あいつらだ――

その声に本能で危険が迫ることを察して、耳を欹(そばだ)てる。
さく、さくり――悲鳴はどんどん大きくなり、近づいてくる。

だが、その悲鳴を妙だと感じたのはすぐだった。
よく聴けば、イタイというコトバに混じってコトバが聞こえてきた。






  ―あいつらだ・・・あいつらだ・・・あいつらがキタ・・・―

―イタイ・・・イタイ・・・―

   ―だけど、ヤサシイね・・・ヤサシイよ・・・―

 ―あいつらだけど、ヤサシイよ・・・―






か細く、謳うように交わされるそのコトバに頭を傾げる。
彼らは拙いが馬鹿ではない、幼いがウソはつかない。とても素直で臆病な子たち。
そんな彼らがこんな事をいうのは初めてだ。

悲鳴の大きさは近づく証。
あいつらはあっという間に私の、正確に言えば藤の目下を通り過ぎようとしていた。


最初に思ったのは「おかしな二人組み」ということだった。
あいつらと同じ、だけど空気が違う、トキが違う。
取り巻くものは混沌、異なるもの、こちらのものとどこか他のものが絡み合っている。

先を歩いてきたのは女。長い髪が夜の水面のように揺れて光っている。
年はまだ十といくつかといったところで、襟口と腰巻が湖の水苔の色という奇怪な形の衣を纏っていた。
その体はあいつらと幾分変らぬはずなのに、不可思議なトキと力が絡んでいた。
何も無いはずのこの地を眺めて、何故だか嬉しそうに笑っている。

その後ろを仏頂面の男がついてきていた。すぐにあいつらと闇を好くものとの混血と分かった。
髪は女より更に長く、星を細い糸にして束ねたような銀髪、髪と同じ色の獣耳、
露を乗せた萱草(かんぞう)色の瞳は、紛れもなく闇を好くものの姿。
見た年は女と差して変わりないが、その命も藤よりずっと長く在るのが分かる。
あの地平にある沈む寸前の燃え上がる陽のような狩衣、藤色の念珠、帯びる刀、
そして男自身からも震えるような力が籠っている。


正に今の空のような二人を見ても怖いとは思わないのは私だからだろうか。


兎にも角にも変なやつらだ、と改めて思った。
と同時に何もないこの地に夕闇の二人が一体何を求めてきたのか、猛烈に気になりだした。
本能という名のもとでしか動かぬこの私が、だ。

気がついたら、私は藤の梢をいつもの気配りなしに蹴って、風と木々を伝い、彼らの後を追っていた。

ゆっくり歩く彼らにはすぐ追いついた。
沢山の木々の梢や幹を必死に渡りつつ、風に乗って聞こえる彼らの話に耳を傾ける。







「・・・おい、どこまで行くつもりだ」
「んーもうちょっと。あともうちょっとだけ」
「さっきからずーっとそういってるだろうがっ。いい加減にしねぇと置いて帰るぞっ」
「できるの?いつも血相変えて迎えにくるくせに」
「んなっ!誰か血相変えてるかっ!」


男の叫び声に一瞬だけ木々が震えたのが分かった。
あいつらに近しいといえど、闇を好くものでもあるその声に怯えている。

なのに、私はやはり怖くない。
直接それを言われた女に至っては、はいはいと軽くあしらい、挙句にくすくす笑っている。
そんな女に男は小さく愚痴りながら、それでもただ女についていく。













変な二人だ。
この時間が、この地が安全でないことくらいは言わずと分かるはずだ。
現に月明かりが照る刻限になれば、辺りは闇を好くものが跋扈し、木々の嘆きがしょっちゅう聞こえる。

というか、そもそも何故この女は混血モノと歩いているのか。
あいつらは自分の仲間さえも蔑むと風に聞いたのに。
男とて同じだ、元々闇を好くものは血肉を喰らうという。
目の前の女は正にそれにあたるというのに食う気配も、それどころか襲う気配もない。
あいつらの仲間と、闇を好くものの混じったモノが共に歩く。


本当に変だ。









「わっ、湖っ」

色々疑問を廻らせていたが、女の声にはっと顔をあげた。
二人を追っていてそこに辿り着いていたのに気がつかなかった。

さらさらきらきら、それはこの地にあるものを育て、癒す聖地。
同時に皆が、私が恋焦がれて止まないもの。
女はその湖に小走りで駆けていく。

いけないっ!と、そこで私は声なき声を張り上げた。

そこは私の大切な場所。私の大切なものがある。こいつらに踏み潰されでもしたら大変だ。
さりとて悲しくもそれは草原に埋もれていて見えにくく、私にそれを防ぐ力はない。
ただ身を乗り出しはらはらと、無事を祈り見守る。

女は、屈んでたゆたう聖地の水面に手を入れ、気持ちいい、と目を細めた。
その姿に普段もの言わぬ聖地が、そして後ろで見守っていた混血モノが
かすかに笑った気がして、思わず目を見開いた。

だがそれも束の間、暫く聖地を撫で続けた女が、疲れたのか畔に腰掛けようとした。
次いで混血モノも、その隣に歩み寄って腰掛ける。

正にその場所にある、私の大事なもの。
ぞっと背筋が凍った気がした、もうダメだ、おしまいだと目を瞑った。
しかし、それが潰れる感じはしなかった。
そろそろ目を開けると、偶然にも私の大事なものは、女と混血モノの間にあり続けていた。
柄にもなく腰が抜けてしまった。








それから二人、暫く他愛ない話をしていた。
とはいっても話すのはほとんど女で、混血モノは相槌を打つ程度だったけれど。


そんな彼らに、周りのものが何も言わない。
いつもなら恐怖でざわざわと震える木々が、風に揺れて謳っている。
暮れる夕日に、巨大なあいつらに怯える草花が、うつらうつらとしている。
あいつらや闇を好くものを嫌う聖地が、心地良さそうに輝いた。


何故?そう思った時だった。


「・・・甘い匂い・・・」
「えっ?」

そう呟いたのは、今まで相槌しか打ってなかった混血モノ。その呟きに女が振り向いた。
混血モノがふっと目線を落としたので、女も私もそれを追う。







そこにあったのは、紛れもない私の大事なもの

誰にも気がつかれず それを誰に教えるわけでもなく
ひっそりひっそり
色付き 香り 終わると思っていた 私のトキ


今まさに そのトキ その瞬間を
私は このおかしな二人と 迎えている









「なんて名前なんだろう・・・でも、綺麗ね」

さわさわと、女は聖地を撫でた手で、それを撫でる。
混血モノは何も言わず、女を、それを見守る。

そして、ソレを感じた。


ああ、分かった気がする。
草たちが踏まれながらもヤサシイといった意味が。
物言わぬ聖地が笑ったわけが。

優しい空気が、愛しいトキがそこにはあった。







ここの木々が、草木が、聖地が、とても優しいのを知っている。
秋の果実の甘い匂いも、冬の雪のこそばゆさも、春の眠たくなる風も、この夏の芳ばしい空気も、
それぞれ皆優しいのは知っている。

ただ、彼らの優しさは私にだけ注がれているわけではない。
私は、彼らに気付かれていない。私もそれを知らせない。


なのにおかしな二人は、私を見つけてくれた。
私の匂いを、甘いと言ってくれた。
私の姿を、綺麗と言ってくれた。
私を、愛でてくれた。
その名も知らず、言えぬ私を。

今まで私が何も感じなかったのは、寂しかったから。
本能でしか動かなかったのは、一人だったから。

きっと本当は、見つけてほしかった。
何か、コトバが欲しかった。
一瞬でも、愛されたかった。


はらはらと、この頬を伝うのは聖地の飛沫か、夜露の雫か
とくとくと、この心を満たすのは迫る夕空か、夜の風か

気づけたことを悲しく想い、また愛しくも想い
コトバにできぬ何かが、ひたすら溢れた―








辺りは見る見る重い黒橡(くろつるばみ)に被われ、夕日の灯火が消えかける。
おかしな二人も追い立てられるように立ち上がると、足早にこの地を離れ始める。

もう会うことはないだろうおかしな二人。


長い長い、無色だった私の世界に尊いものを注いでくれた二人に
この声無き声を伝えよう―









ありがとう ありがとう

こんなちっぽけな私を見つけてくれて

とてもうれしい とても幸せ







逢う魔が時 私はまた人知れず咲く

だけど ただ咲いて散りはしない

貴方が甘いと言ってくれたこの匂いと共に 喜びを運ぶ
貴方が綺麗と言ってくれたこの白の身は 清潔の証

誰かに 私の何かを気付いて貰う為 コトバに出来ぬ代わりに彩り香る


我が名は 梔子
この身に籠められし言の葉は 沈黙と幸せ








― それは、ある夏の一瞬の出来事

         尊く優しい、私の一生の宝物











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あとがき
初、完璧第三者視点からの犬かご。ラブ度が微塵もありゃしない(爆)
暑中か残暑のフリーにするつもりだったのですが、第三者視点だし微妙だったので普通にアップしました。
これは昔から描きたかったものが、こちらの記事をみて一気に触発され、作品へと相成りましたv

ちなみに梔子は沈丁花、金木犀と並ぶ三大香木で本来は1メートルはある樹木です(爆)
タンポポみたいにそこらに生えてるもんじゃないし、めちゃめちゃ匂いの強い花なのですが、
私が勝手に変えちゃったんです;お間違いなく;(花名と花言葉使いたかっただけのやつ)
夕方に咲くのは本当ですけどねv


※9/4 文章修正



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