お前は誰だ

 ― 俺はお前 けど お前じゃない ―

何故お前は此処にいる

 ― あいつを見つけて あいつに会いに来た ―

あいつって誰だ

 ― 大事なやつ 失いたくないやつ ―


 ― そいつの名は     ―




















 ――――― 手繰り 出会いの章 ―――――




















そこで硅ははっと目が覚めた。
暫し意識が呆然としたが、身を包んでいる空気がいつもと違うという現実に引き戻され、そろそろと辺りを見渡した。

ぱりっと貼られた障子から淡い朝日が部屋に注ぎ込む。
雀がチチッと、可愛らしくさえずる声が遠くで聞こえた。
頭上の見慣れない白い天井とぶら下がる電気。
躰に感じる抱擁感もいつもの布団と違い、ふかふかして新鮮味がある。
香る匂いも新しい畳の匂いがする。

そこで漸く彼の頭は動き始め、自分の置かれている状況を思い出した。

(・・・神社の手伝いに来てたんだった・・・)

活動を始めた脳みそから記憶を引っ張り出す。
和尚に頼まれて、一泊二日で神社の大祓を手伝う事になったのは一昨日の事。
そして昨日、ここ日暮神社の一家に嵐のような歓迎を受けた。
賑やかな一家の団欒に混じらせてもらった後、客間に通され途端どっと眠気に襲われて・・・
で、今に至る。

ふーっと手の甲を額に当て溜息をはきながら、昨夜の熱烈な歓迎なんかを思い出し苦笑する。

(・・・そういやさっきの夢・・・) 

ふっと、飛び起きるハメになったその夢の事を思い出した。

とても大切で切ない夢、だった気がする。
曖昧な言い回しなのは、今や夢で成されていた映像のほとんどを覚えていないからだ。
その時感じた激しい感情の波も、残り火のように奥底に燻っているだけなのである。
誰かと話していた記憶はある。
だが、夢の中では嫌と言うほど鮮明だったはずの内容が、もはや相手の顔さえ思い出せないところまで霞んでいた。

はて、どんな夢であったか・・・
う”〜んと低く唸って思い出そうとするものの、記憶は益々薄れていくばかり。
ついには

「だめだ。完璧忘れた」

あっさり諦めると、のそりと上半身を起こした。
その時点で夢の事など忘却の彼方に飛んでいってしまった。






「おはようございます」
「おはよう、硅君」

身支度を整えリビングに入ると、一番にママさんが笑って返してくれた。
テーブルに並んだ料理は神社らしくといえば偏見になるが、和食のいい匂いがした。
日暮家の長男である草太と神主のおじいさんは既に朝食にありついており、一足遅れて朝の挨拶を交わした。

昨日はよく眠れた?となどとママさんに問われたりしながら昨晩と同じ席に腰掛ける。
と、ある異変に気がついた。

「・・・かごめさんはどうしたんですか・・・?」

はたと見れば、この場にいるのは三人だけ。
一家の長女の姿は今朝は一度も見ておらず、その席だけがポツンと空いているのだ。
その問いに「かごめは一足先に境内に出てるんじゃ」と答えたのは他ならぬ神主のおじいさんだった。
何でも年寄りなど気の早い人はもうこの時間から来ていることもあるので、対応ついでに準備をしに行っているらしい。
おじいさんは目の前に置かれた漬物を食べながらさらりと言ったかと思うと

「それよりこの漬物はなぁ、硅くん・・・」

と真剣な顔で漬物の一つを箸で摘みあげて由来を語り始めた。




朝食も早々に済ますと、ここで漸くおじいさんより神主らしく、かごめの掃除の手伝いを命ぜられた。
客間に戻り、手馴れた調子で借りた白衣と袴に着替え始めた。

その間、思考は昨日の出来事に戻されていた――――――――
















か ご め

と、確かにこの口はそう作った。
それは誰にも聞こえないくらいの、蚊の鳴くような小さな声だったけれど、確かに零れた言葉。
呟いたその瞬間だけ、自分の意識だけガラスの箱のようなものに閉じ込められた感覚に襲われた。
体を誰かに乗っ取られてしまった感じというか。

とにかく言える事はその言葉を発した瞬間だけ、自分の体は別の誰かのものになっていたということだけだ。

だって自分はその言葉を知らない。
意味などまるで分からない。 
彼女を見たのだって、この時、この瞬間が初めて。

なのに・・・何故だろうか。































― ずっと ずっと 探していた

― その言葉を その姿を

― 狂おしいほど 愛しく 大切な

― たった一人の お前という存在に


― 逢いたかった ―


























怒涛の如き迸(ほとばし)るその言葉、その感情。

自分の中の誰かが確かにそう呟いた。











『おかえりなさい』

やんわりとした口調が耳に届いて、硅の意識は急速に体に収まり作動し始めた。
気がつけば少女は遅くなってごめんなさい、などと可愛らしい苦笑を浮かべながら近づいてきていた。

その時、既に先ほどの感情は波のように引いていて、微塵も残ってはいなかったので心底驚いた。

母子で一通り普通に帰宅のやりとりを交わすと、少女は傍にいる青年に目を向けた。
大きな漆黒の光が青年の黒を捉える。
その一瞬、少女の瞳の色が激しく揺らいだ気がしたが、一つ瞬くと少女はにっこりと愛らしく笑った。

『初めまして』
『えっ・・・あっ、ど、どうも、初めまして』

別に少女はそこまで不意を突いた訳でもないのだが、硅にとっては少女の挨拶が突発でまたどもってしまった。

『時峰くん、この子がさっき話した娘のかごめよ。かごめ、昨夜話した涼爽寺の時峰硅くん』
『宜しくね、時峰くん』
『えっ・・・!?あ、えと、こちらこそ、宜しくお願いします・・・』

硅も反射的に答えたが、内心ではバナナの皮でも踏んで軽やかにずっこけた気分であった。
何せ今紹介された少女の名前こそ、今しがた自分が無意識で呟いたと思われる言葉と同じものだったのだから。

パニック状態で疑問符ばかりであるが、とりあえず一番に思いついたのは
なんで会った事も無いひとの名前なんか呟いた、いや、そもそも言えるのか、ということ。
記憶の中身を探してみても、彼女の顔もかごめという名前も出てこない。
忘れているという事は恐らく無い。本当に今初めて見た顔だし、知った名前だ。
色々ありもしない考えが脳裏を過ぎっていくが、その時は偶然か何かはどうでもよかった。

(なんで見知らぬ女の名前なんか呟いてんだっ!!!俺はっ!!!!)

隣のママさんに聞こえていたら、なんで逢ったことのないはずの娘の名前を知ってるのか、という話になる。
もちろん説明なんて出来ない、自分が発した訳ではないのだから。
だけどそんな事を素直に信じる人は多分いない。
思いっきり怪しまれて、和尚の与えた好印象と信頼をぶち壊してしまうのが現実だ。
そんなことになれば、正に脱兎の如くこの場から逃げる以外、道が無い。
ひやひやとママさんやかごめの行動を見守っていたが、幸いにも訝しい自分の声は二人に聞こえなかったようだ。

寺院育ちのくせに硅は神仏類をあまり信じていないが、この時ばかりは「仏の慈悲」とやらに心底感謝した。

『どうかした?』
『えっ、あっ、いやっ、えっと、何でもないですよ』

いきなり覗き込まれたというものあったが、先の考えもあって知らずに顔を赤らめ動揺してしまった。
別段かごめもママさんもちょっと首を傾げただけで深く追求してこなかったが。
更にタイミング良く「そろそろ晩御飯にしましょうか」とママさんの鶴の一声で、家の中に招かれたのだった―――




























持参してきた草履を着物同様手馴れた調子で履き、寺院と同じようにぴっちりと敷き詰められた石畳を歩く。
その度に髪同士と衣同士とが擦れ合い、時たま吹く心地いい風に靡かれる。

だが、黙々と足を動かしているだけで心はここにあらずであった。


彼女の名を言った、自分ではない全くの別人の誰か。
この身体を走った感情も呟いた言葉も、この目でさえも何もかも、あの瞬間だけは確かに誰かのものだった。
しかも乗っ取られたとかそういう外から入り込んだのではなくて、内にあった何か・・が爆発したような感じ。
今までずっと、眠り続けていた何か・・が・・・
一応思い当たる節はある。
己の中にいる「こいつ・・・」か、今思い出したが夢に出てきた「あいつ・・・」か・・・


その時、ふと人の気配を察して思考を止め、立ち止まって顔を上げた。
数メートル離れた場所で立ち尽くす、白衣に緋袴を纏った長い黒髪の少女。

それがかごめだとすぐに分かったが、声をかけなかった。
否。かけられなかったのだ。

その横顔は昨日の桜花のような柔らかい笑顔はどこにもなく、悲痛の籠った顔。
黒い瞳は吸い込まれそうなほどに美しく濡れているが、頑なに動く事無くはるか遠くを見据えているようだ。
大して離れてもいないのに、その横顔のせいで小さな少女は余計に小さく遠く見えた。

そんな彼女の目の前でこの境内でも一際目を引く大きなそれは、恐らく神木と崇められている巨木。
威圧感さえ感じる大木は幾筋もの木漏れ日を作り、小さな少女を光の海で優しく包む。
風はまだ変わりたての新緑を燻らし、少女の髪と着物を弄ぶかのように舞い上がらせている。




――ドクンッ・・・――



またあの時と同じように鼓動が聞こえたがあえてそのままにした。
むしろ胸が高鳴るのも仕方ないと思う。
それほどまでに、この少女と木の織り成す様は綺麗で心打たれる風情だったから。
こんな事をいうのは何だが、正直この光景を絵として額に入れて飾っておきたいとさえ思った。
故に硅は動く事も出来ずただ呆然とその場に立ち尽くし見入ってしまっていた。

そのまま暫くは二人は全く違うものを見つめていた。
が、かごめが俯いて小さく息を吐き、こちらに振り向いたことで止まっていた空気が突然動き出した。
向き返ったかごめの黒と呆けた硅の黒がばっちりぶつかったその瞬間。

「あっ!?や、やだ、時峰くん!?いつからそこにいたの!?」

つい数秒前からは想像も出来ないような声が硅の耳をつんざいた。
その声に硅もはっと現実に引き戻された。
そこにいたかごめには哀愁なんて言葉は微塵もなく、心底驚いたように目を白黒させてこちらを見ていた。

「あっ・・・!?え・・・!?えっと・・・。今さっき来たばかりで・・・
 なんか考え事してたみたいだったので声かけられなくて・・・すみません・・・」

かごめの激変振りに硅まであたふたし、濁った言い訳のような言葉を並べた。
それでも声もかけず見入っていたことに羞恥心も沸いて最後は力なく頭を下げる。
かごめはきょとんとしたが、少し微笑み、だがまたどこか悲愴を浮かべた。

「そんな・・・。・・・あたしこそ・・・ごめんね・・・」
「えっ?」

小さな間のあと、何故か逆にかごめが謝ったので思わず顔をあげたが、目線が合う事は無かった。
かごめはまた同じ顔で大木を見上げていたから。
そして硅もつられてかごめの目線を追い、大木を見上げた。

素人目で見てもその巨木は大層見事なものである。
覆う緑は日光によって半透明に透け、葉脈の一本一本が良く見えた。
風が吹くごとに葉や梢がさわさわと囁くような、心地よいメロディーを奏でて心に浸透していく。
対象的にゴツゴツと硬い太い幹は大地に向かうごとにしっかり太くなり、勇ましく根を下ろして身を支えていた。
中腹辺りにはその立派さを表彰したかのように注連縄が施してある。
不思議なのが注連縄のすぐ上の幹の皮は楕円状に一枚分剥げていることぐらい。

「立派な木ですね・・・」

硅は心に浮かんだ言葉を、かごめに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でぽつりと零した。

「・・・樹齢千年の御神木なの・・・」
 
かごめも見上げたまま呟くように答えた。
生憎硅も見上げていたのでその表情は分からないが、どこか愁い、というか寂しさが籠った声だった。

それだけ言うと、二人は再び時が止まったかのように何も言わずに暫し御神木を見つめていた。



――ドクンッ・・・――


再び鼓動を聞いて今度は無視する事無く硅は現実に帰ってきた。
脈打った自分の胸を見つめるとぐっと着物の合わせを鷲掴む。

この貧相な身体の内には、今にもそれを食い破り暴れ出そうな何か・・がいる。
開けてやりたい、されど開けてはならない、切れかけた楔の掛かる扉。

もし開けてしまったら、自分がどうなるのかも分からない。
理性では恐れている。
しかし本能は、この内の迸る激情は、扉を開けようともがいている。
何か・・を伝えたくて只管に叫んでいる。


―何の為にお前はこうも扉を開けようとする?
―何がお前をそこまで掻き立てる?





「あっ!大変っ!掃除の事すっかり忘れてたっ!!」

真面目な思考は唐突なかごめの叫びと、同時に己が漏らした驚きの声であっという間に吹っ飛ばされてしまった。
そしてそういえば、とすっかり忘れ去られていた目的をやっと思い出した。
実はもうそろそろ人も来始める時間だというのに掃除はおろか、人様を迎えられる準備がほとんどされていない。
今更、二人揃ってあたふたし始めた。

「掃除は俺がしますから、かごめさんは社務所の準備を!!」
「あ、ありがとう!お願いね!!」

かごめは御神木の裏に立て掛けてあった竹箒を硅に託すと、息もつかずに一目散に社務所に駆けていった。

(・・・分かんねぇやつ・・・)

一人取り残され、かごめの駆けて行った方向を見つめて、思わず呟いた。

今、石のように黙ったかと思ったら、いきなりどたばたと慌て出して。
風に吹き飛ばさそうなほど、小さく泣きそうな顔してたのに、次の瞬間にはもう全く違う顔になっている。

ころころと変わるかごめの表情。
だけどそれがまたどこか、無性に懐かしくて可笑しい。

「・・・一番分かんねぇやつは俺か・・・」

我知らずにふっと笑顔を漏らした。


































運命  縁  必然  偶然

星の数ほどある言葉のどれも
あたし達の出会いを括れないと思う

曖昧で でも確かな事もあり
偶然で でも必然のような

答えがないこれを人はなんと呼ぶのだろう























ほら 手繰り寄せた想いは もうすぐ出会う
もうすぐ 君に逢えるよ